空飛ぶ車いす
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空を飛んだ車椅子 ベトナムの地へ
2007年6月11日   大島 養子  

   皆さん、ご報告が遅くなってしまい申し訳ありません。この度、ゴールデンウィークを利用してベトナムへ旅行をする際、「空飛ぶ車椅子」に参加させていただきました、埼玉県在住27歳の大島養子という者です。はじめまして。
   私は現在川越市の保健センターで保健師をしております。海外には大学生の頃から関心を持ち始め、今まで東南アジアを中心にタイ、ラオス、カンボジアなど、いくつかの国を訪ねたことがあります。今回は、以前働いていた病院で知り合った助産師さんで、今ベトナムで青年海外協力隊として働いている方を訪ねるときに、この車椅子の輸送ボランティアのことを伺って参加を申し込みました。この協力隊の方は高橋さんとおっしゃいますが、日本の友人やメーリングリストで呼びかけ希望のあった方など、多くの日本人をご自分の任地(ベトナム・ゲアン省)へ招き、その際に車椅子の輸送ボランティアを紹介しています。その結果、任期の2年間で、私の訪問を含めて全部で15台が寄せられたということです。高橋さんという一人の人の活動にともなって周囲の多くの方がこのような活動に参加し、形を残すということ、また、それに日本の高校生の皆さんの想いも乗せられていることに、私はとても感動しました。日本からベトナムの方へ車椅子を届ける以前に、日本人同士で善意のリレーが行われていることがとても素敵ですよね。そのスタートに皆さんがいることに、どうぞ誇りを持ってください。皆さんの活動に参加させていただいたことに感謝しています。ありがとうございました。
   では、私の訪れたベトナムがどんなところだったか、車椅子をお届けした方はどんな方で何をおっしゃっていたか、少し長くなりますが、ご報告いたします。

 ベトナムは日本から飛行機で約5時間のところにあります。南シナ海に接し北は中国、西はラオスとカンボジアに接しています。大きさは日本の本州くらい。政治は社会主義共和制をとっており、約80%が仏教徒、公用語はベトナム語です。私は英語が得意ではないので心配していましたが、心配どころか英語はまったくと言ってよい程通じませんでした。
   高橋さんの任地はゲアン省ヴィンという都市に近い町です。直接近い空港はないので、ベトナム北部にある首都ハノイに入って、バスで国道を南に向かって長く走ることになります。ベトナムを訪れるのが初めてな私は、高橋さんにハノイまで迎えに来ていただきました。高橋さんがいらっしゃらなかったら、ベトナム語の話せない私は、多分ヴィンまでたどり着けなかったと思います。
   私がベトナムに向かったのは5月1日。日本ではまだ薄ら寒い時期でしたが、ハノイはこれからいよいよ暑くなる雨季の始まりで、空港についたとたんに汗が出て、下ろしていた髪を縛らなければいられないくらいでした。
  ハノイからまずは市バスでバスターミナルまで移動しました。しかし、車椅子を持っていては途中で下車できないので、終点まで行ってからバイクに乗って向かいました。途中で降りられないというのは、バスは停留所に着くとスピードを落とすだけで止まらないことが多く、人々はタイミングを合わせて乗ったり降りたりしているからです。日本人観光客が使用することはほとんどない市バスに車椅子を持って乗ること自体、現地に慣れた高橋さんがいなければできなかったと思います。そして、バイクタクシーに乗ったのですが、これも高橋さんは慣れていて、車椅子を抱えたままバイクの後ろに乗っていました。空気抵抗で落とされないかとハラハラしながら、私は別のバイクに乗っていました。このバイクが飛ばす飛ばす。車道は、バイクだらけでバスはクラクションを鳴らしっぱなしでバイクを退けながら走っている状態です。バイク社会とはこのことです。皆排気ガスを吸い込まないように、布でできたマスクのようなもので口と鼻を覆っていました。
   さて、長距離バスに揺られて約4時間。高橋さんと同じ助産師で協力隊員として活動している方のいらっしゃる病院を訪ねて、そこに泊まらせていただきました。着いたのは夜の22時。国道から病院まで歩いてほんの少しですが、街灯はなく暗い道を通って病院まで行きました。ベトナムでの最初の夜。翌日病院で地域のベトナム人の助産師さんを対象にマタニティビスク(妊娠中でも安全に行える有酸素運動。出産に必要な筋力をつけたり、太りすぎを予防できる)を講義、実演するために、他にも任地から駆けつけた助産師さんを含めて、4人で寝ました。初めて入る「蚊帳」。協力隊の方は皆支給されるそうですが、ここでは病院が用意してくれたそうです。
   翌日は、助産師さんの集まりに出席して、会合の様子を見学。マタニティビクスの演習では、私はカメラマンとしてお手伝いしました。この日、別の任地で保健師として協力隊員をしている方も合流して日本人は3人の助産師と1人の保健師と私の5人。マタニティビクスは、エアロビクスに似たものですが、ベトナムではあまりしない動きらしく、地元の助産師さんたちは恥ずかしそうに、でも楽しく体を動かしていました。
   病院見学の後昼食をとり、午後は病院の医師が持っているという塩田を見せていただきにいきました。塩田とは、太陽光だけで海水から塩の結晶を生産する塩田方法で、砂地に何度も海水を撒いて水分が蒸発した後の濃い海水を集めて、それを最後に蒸発させて塩の結晶を回収するものです。広大な土地にまさに田んぼのように区画された塩田で、60〜70代のお年寄りも炎天下で作業をしていました。最終的に流し込まれたおおよそ畳2枚分の区画から採取された塩全部でも40円くらいしかならないそうです。現地の物価は安いですが、それでも「フォー1杯も食べられたいんだよ」と医師は笑っていました。
   さて、その夜再びバスに揺られて1時間。高橋さんの勤務する病院に着きました。用事があるからと高橋さんに自転車の荷台に乗せていただいて行ったのは、ニュンさんという30代の女性のところでした。この方は、高橋さんが最初に「空飛ぶ車椅子」で車椅子を届けて欲しいと日本に申請した対象者で、枯葉剤の影響で下肢が使えません。申請を受けて、高橋さんからの最初の依頼である第1号の車椅子が届けられました。ニュンさんは、高橋さんを訪ねてくる日本人皆と仲良くなり、日本語も少し話せます。普段はお菓子や雑貨を売っているお店で、ベッドのような台の上に座って働いていますが、車椅子に乗って役場の近くまで行き、職業訓練のような形で刺繍を習っている子どもたちと一緒に作業をしたりしています。優しい笑顔で私を迎えてくださったリュンさん。翌日も「芋を一緒に食べましょう」と高橋さんと私を誘ってくださり、カフェでお茶を飲みながら一緒に食べました。刺繍の先生やリュンさんの弟さん、その友だちも一緒です。ベトナム語のわからない私ですが、ときどき気にかけて話しかけてくださり、とても楽しい時間でした。高橋さんがベトナムに滞在して、日本とベトナムの文化の違い、人々の価値観の違いに悩んだとき、ニュンさんと話しをすることで視野が広がったと言っていました。そして、ニュンさんの紹介で、障害のある子どもたちを預かってボランティアで育てている施設があること、障害者の方がパソコンを教える仕事をしている教室があることなど、いろいろ知って訪ねるようになったそうです。ベトナム語が話せたら、ニュンさんとたくさんお話がしたかったです。

ボ ヴァン チンさんと筆者の写真   ベトナムを訪れて3日目、皆さんから預かった車椅子をいよいよ届けに行きました。お渡しする方は、高橋さんの勤務する病院で働いている男性の家族で、ボ ヴァン チンさんという63歳の男性です。
   写真右のおじいちゃん(隣は筆者)。
   5年前に高血圧で倒れ、歩けなくなってしまったということです。写真の奥に見えるベッドで1日中過ごし、家族はどうすることもできなかったと話していました。では、その間チンさんはベッドに寝たままだったのかと心配になりましたが、家族は大家族で仲がよい雰囲気で、チンさんが孤立することはなかったように感じます。皆、チンさんを大事にしている様子が伝わってきました。大家族の中で年長者を重んじる文化が日本よりも強いのではないかと思います。

お礼のご馳走とチンさんのご家族の写真 左の写真は、車椅子を届けてくれたお礼にと用意してくださったご馳走をいただいている写真です。
左から2番目が高橋さんです。チンさんも一緒に食べました。

   「車椅子に乗れるようになって、どこに行ってみたいですか?」とチンさんに聞いてみたら、「家のまわり」とおっしゃっていました。そして、車椅子に乗って自分の足の間に孫を乗せたいと笑っていました。

車いすにお孫さんを抱いて乗ったところの写真  右の写真が、希望の通り車椅子にお孫さんを乗せたところ。家族皆が笑顔で見守っていました。
   車椅子を現地で買うと4万円ほどするそうです。一度買おうとしたこともあったけれど、買えなかったと話していました。4万円というと、インターネットで調べた範囲ですが、公務員の月給で50万〜60万ドン。ということは、日本円で3,500〜4,200円なので、ベトナムの給
料9〜11ヶ月分です。買うにはとても厳しいです。
チンさんや家族皆さんが、車椅子を持ってきてくれたことにとても感謝していました。車椅子は日本の高校生が修理してくれたものであることを、高橋さんがベトナム語でしっかりと伝えてくださいました。
  チンさんが最後におっしゃっていたことが忘れられません。「私が人生で日本人を見たのはこれで2回目です。1度目は、戦争中の日本の兵隊。そして、2度目が今回です。」
  戦争中日本人に会ったのは、恐怖の中での出来事だったと思います。第二次世界大戦の初期、日本はベトナムに進駐し、支配した歴史があります。1度目は敵として対峙した日本人、2度目は足に代わる車椅子を届けに来た日本人。チンさんの言葉を聞いて、過去に悲しい歴史があったことをとても残念に思う気持ちとともに、60年ものの時が流れた今、一緒に食事をして笑顔を交わしている事実を感慨深く感じました。今も世界では紛争が絶えず、悲しい思いをしている人たちがたくさんいるけれど、いつかどの国同士もこうした関係になれたらと思いました。それも、どちらが援助する、されるという立場ではない関係が。ひとりでできることは限られているけれど、私のできることを続けていきたいと思います。

   最後に、ベトナムで私が感じた印象を書きます。ベトナム人は黙っていると一見怒っているように見えましたが、こちらが笑顔であいさつすると皆人懐こい笑顔で返してくれました。私と同い年くらいの人はほとんど結婚して、子どもを産んで家族皆で育て、幸せそうに見えました。日本では、核家族が増えてなかなかできないと思いますが、ベトナムでは子どもを家族皆で本当によくかわいがって育てています。月並みな表現ですが、物は日本のように豊かではありませんが、気持ちの面では日本人よりもとても穏やかで、家族の仲がよく、幸せそうに見えました。夕方、芋を食べながらおしゃべりをすることって日本でありますか?芋ではなくても、そうやって友だちや近所の人と自然に交流している姿に、日本にはない気持ちの余裕や豊かさを感じました。自転車で柔道を習いに行く子どもたち。高橋さんととても仲が良く、私にも気さくにいろいろ話しかけてきます。日本から持ってきた折り紙を見せたら、男の子も女の子も皆一生懸命折っていました。とても素直で明るい子どもたち。日本の子どもたちはどうでしょうか?
   皆さんの修理してくださった車椅子を届けることを通して、ベトナムの地でこのような交流ができたことに大変感謝しています。日本人をリレーして届けられるこの活動のやり方も私は好きですが、是非今度は皆さんが直接届けていただけたら素晴らしいと思います。ニュンさんの車椅子は、片方の肘置きが取れてしまっていました。車椅子を手にした後も皆さんの力を必要としている方がいます。
  私自身、まだこれといった形で国際協力に取り組めていませんが、日本で保健師という仕事をしながらどんなことをしようか考えているところです。高橋さんの所属している青年海外協力隊は医療職のみならず、様々な分野で活動しています。その他、国際機関、NGOなど国際貢献にはいろいろな形があります。若い皆さんに是非、世界へはばたいて欲しいと思います。一緒にがんばりましょうね。